2022年夏,同時期に沖縄県知事である玉城デニーさんに関する本が2冊発売されました。
1冊は,7月に発売された本人著作による『新時代 沖縄の挑戦』です。時期を考えると,2022年沖縄県知事選挙のために自身の生い立ちやこれからのことを綴ったものだと思います。そして,もう1冊は,8月に発売された藤井誠二さんによる『誰も書かなかった 玉城デニーの青春』です。
デニーさん本人の本も楽しいですが,「県知事」という立場上,どうしたってきれいに書かざるを得ないこともあります。しかし,藤井誠二さんの方は本人の取材だけでなく,デニーさんの周囲の人たちにも取材をされていて,ひとりひとりの物語が群像劇のように楽しめます。
『新時代沖縄の挑戦』の目次
- 第1章:沖縄にとっての復帰50年
- 第2章:私と沖縄戦後史
- 第3章:沖縄県知事としての挑戦
- 第4章:辺野古新基地建設と民主主義
- 第5章:日米地位協定と基地神話
- 第6章:誰一人取り残さない社会へ
『誰も書かなかった 玉城デニーの青春』の目次
- 第1章:四畳半の青春―伝説の高校生ロックバンド「ウィザード」
- 第2章:5人の「後輩」たち
- 第3章:激動の日々
- 第4章:「あんたは『日の丸』を振らなくていい」
- 第5章:ミックスルーツと「沖縄アイデンティティ」
- 第6章:政治家,結婚,ルーツ
メンバーがバイクで送ってくれるエピソード
この2冊は,『新時代 沖縄の挑戦』が朝日新聞出版,『誰も書かなかった 玉城デニーの青春』が光文社ということで,明確な裏表の関係にあるわけではありません。しかし,同じ出来事を本人と第三者の異なる視点から観られるのは,魅力のひとつに感じました。たとえば,『新時代 沖縄の挑戦』では,「誰一人取り残さない」の原点として,高校生時代のエピソードが語られます。
(バンドの)練習はほぼ毎日です。ただ,高校から練習場所のある沖縄市まで往復するバス賃がありませんでした。困った私を見て,帰り道はメンバーがバイクで送ってくれました。休憩時間にはメンバー4人でコーラとお菓子を食べながら,おしゃべりします。そんな時も「デニーはお金がないからいいよ。(コーラとお菓子代は)俺たちが出すよ」と言ってくれました。「申し訳ないなぁ」と思いつつも,彼らの優しさを受け止めました。
デニーさんが通っていた県立前原高等学校から沖縄市(コザで算出)までのルートを見てみても,高校生にはなかなかの距離であることがわかります。
県外の方のために書いておくと,「沖縄市」は名前だけ聞くと「那覇市」の次くらいの身近な感じがしますが,地図を見るとわかるように那覇市からはなかなか離れています。
さて,『誰も書かなかった 玉城デニーの青春』では,同じ場面が次のように描かれています。
当時の沖縄は日本の道路交通法が施行されていたから,原付の二人乗りは禁止されている。糸数(編注:同級生)は巡回しているパトカーに見つからないように,幹線道路をなるべく避けて,田んぼや原っぱの中に疎らに立ち並ぶ平屋の家々の間の小道を選んで走った。草いきれの匂いが鼻孔を満たす。風は湿気をたっぷりと含んでいるとはいえ,汗を乾かしてくれた。
それでもまれにパトカーに見つかった。呼び止められ,違反キップを切られてお灸をすえられた。糸数の記憶によると罰金は当時の値段で2000〜3000円。新聞配達をして月数万円の生活費を稼いでいる高校生の懐には痛すぎる金額だったが,デニーが往復する時間や手間を考えると,糸数は親友のためにリスクを惜しまなかった。移動にかかる時間の分だけ,練習をしたかったこともある。
当時のバンドメンバーなどの会話を元に構築される物語が青春映画のように見えます。二人乗りしてはいけないというのはもっともなのですが…(笑)。
ハーフということによる差別
また,『誰も書かなかった 玉城デニーの青春』では,周囲の人たちがデニーさんがハーフのために苦労したということについてしばしば言及しています。
「デニーはハーフということでいじめられたと思うよ。就職とかでも差別はあったと思います。本人が大人になって強くなっていくと,ちょっとした差別はどうでもいいやって感じになっていったと思うけど,小さい頃は『アメリカ―』と言葉を投げつけられて落ち込んだと思う。沖縄は差別が露骨ですから。沖縄の気質でしょう。蔑む言葉は多いし,そこに深い悪意はなくても言われる側は傷つく。強くならないといけなかった。デニーは母子家庭というだけで弱く見られる。僕のイメージでは15年ぐらい前まで沖縄はパワハラ,差別とか,男尊女卑的なことがあたりまえな社会だったから。いまはさすがに問題市されるようになっているけど」
一方,『新時代 沖縄の挑戦』では,それを乗り越えたエピソードが綴られます。
私は泣き虫だったので,いじめられてはしょっちゅう泣いて帰りました。すると知花(編注:知花カツさんという育ての母)のおっかあが「どうしたの?」と聞いてくれて,沖縄のこのようなことわざを教えてくれました。
「カーギャ,カードゥヤル」
カーギは「容姿」,カーは「皮」です。「人の容姿は一枚の皮でしかない。一皮剥げば,みんな同じように赤い血が流れているでしょ。人を見た目で決めつけてはいけないよ」というメッセージでした。
こういう言葉も教えてくれました。
「トゥーヌ,イービヤ,ユニタキヤ,アランドー」
10本の指はどれも同じ長さではないよ,でも全部大切だよ,みんな個性があるんだよ,という意味です。「だから,あなたの姿や形が周りと違っていても大丈夫。あなたがアメリア人に似た顔で生まれてきたのも個性なんだから,卑屈に思うことはないよ」とも言ってくれました。
それ以来,私は肌や目の色が違うことをコンプレックスだと思うことはありませんでした。生まれや容姿で人を区別することもありませんでした。おっかあの言葉から,今につながる多様性,ダイバーシティーを教えてもらいました。
今でこそ「多様性」という言葉が社会に浸透しつつありますが,当時のこと(約50年前)のことを想像すると,当事者はとてもつらい思いをしてきたのだと感じます。
著者である藤井誠二さんについて
『誰も書かなかった 玉城デニーの青春』の著者は,ノンフィクション・ライターである藤井誠二さんです。沖縄の本が好きな方なら誰もが知っていると言っても過言ではない『沖縄アンダーグラウンド』(第5回沖縄書店大賞 沖縄本部門受賞作品)の著者でもあります。
藤井誠二さん自身,「沖縄出身ではなく,沖縄と東京等で半移住生活を送る身にすぎない」といいますが,『沖縄の街で暮らして教わったたくさんのことがら』(論創社,2022年)では,昔,那覇で家を買った話が出てくるなど,沖縄への愛着を感じます。
それにしても,『誰も書かなかった 玉城デニーの青春』,いつか青春映画になってもおかしくないくらい,あの頃の描写が素敵なのでした。