憲法19条は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」と規定しています。
思想・良心の自由は、内心にある限り絶対的に保障されます。また、公権力によって思想の告白を強制されない沈黙の自由が保障されます。
本試験対策でいうと、思想・良心の自由については、それほど出題されませんが、憲法という点では、いくつか判例を押さえておくのをおすすめします。
謝罪広告事件
衆議院総選挙の際に他の候補者Xの名誉を毀損したYに対して、Xが謝罪広告の掲載等を請求しました。これに対し、裁判所は、Yに対し「右放送及び記事は真実に相違しており、貴下の名誉を傷け御迷惑をおかけいたしました。ここに陳謝の意を評します」とする文面の謝罪広告を、新聞広告に掲載することを命じました。そこで、憲法19条の良心の自由を侵害するとして上告されました。
単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するに止まる程度のものにあつては、これが強制執行も代替作為として民訴733条の手続によることを得るものといわなければならない。
判例は、単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するに止まる程度のものにあっては、これが強制執行も代替作為として民訴733条(現・民執法171条)の手続によることを得るものといわなければならないとしました。つまり、憲法違反ではないということです。
参考までに、民事執行法177条1項柱書は「次の各号に掲げる強制執行は、執行裁判所がそれぞれ当該各号に定める旨を命ずる方法により行う。」とし、1号で「作為を目的とする債務についての強制執行 債務者の費用で第三者に当該作為をさせること。」としています。
麹町中学内申書事件
いずれの都立・私立高等学校に不合格となったXが、調査書の「備考」欄等に「校内において、麹町中全共闘を名乗り、機関紙『砦』を発行した。学校文化祭の際、文化祭紛糾を叫んで他校生徒とともに校内に乱入しビラまきを行った。大学生ML派の集会に参加している。学校側の指導説得をきかないでビラを配ったり、落書をした」と記載されたことが不合格の原因であるとして、慰謝料を請求したものです。
いずれの記載も、Xの思想、信条そのものを記載したものでないことは明らかであり、右の記載に係る外部的行為によってはXの思想、信条を了知し得るものではないし、また、Xの思想、信条自体を高等学校の入学者選抜の資料に供したものとは到底理解することができないから、所論違憲の主張は、その前提を欠き、採用できない
最判昭63.7.15
判例は、「いずれの記載も、Xの思想、信条そのものを記載したものでないことは明らかであり、右の記載に係る外部的行為によってはXの思想、信条を了知し得るものではない」としました。
ただし、この判例については、思想、信条そのものを記載したものではないといっても、行為を記載することによって思想、信条がわかってしまう、たとえばML派(マルクス・レーニン主義派)といえば、そういった思想がわかるなど、批判も向けられています。
「君が代」起立斉唱職務命令拒否事件
都立高等学校の教諭であったXが、卒業式における国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し国歌を斉唱することを命ずる旨の校長の職務命令に従わず、上記国歌斉唱の際に起立しなかったところ、その後、定年退職に先立ち申し込んだ非常勤の嘱託員及び常時勤務を要する職又は短時間勤務の職の採用選考において、東京都教育委員会から、上記不起立行為が職務命令違反等に当たることを理由に不合格とされたため、上記職務命令は憲法19条に違反し、上告人を不合格としたことは違法であるなどと主張して、被上告人に対し、国家賠償法1条1項に基づく損害賠償等を求めたものです。
自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が、これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは、その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり、その限りにおいて、その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。(中略)
そこで、このような間接的な制約について検討するに、個人の歴史観ないし世界観には多種多様なものがあり得るのであり、それが内心にとどまらず、それに由来する行動の実行又は拒否という外部的行動として現れ、当該外部的行動が社会一般の規範等と抵触する場面において制限を受けることがあるところ、その制限が必要かつ合理的なものである場合には、その制限を介して生ずる上記の間接的な制約も許容され得るものというべきである。(中略)
したがって、このような間接的な制約が許容されるか否かは、職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量して、当該職務命令に上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当である。(中略)
本件職務命令は、一般的、客観的な見地からは式典における慣例上の儀礼的な所作とされる行為を求めるものであり、それが結果として上記の要素との関係においてその歴史観ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることとなるという点で、その限りで上告人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があるものということができる。
他方、学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては、生徒等への配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要であるといえる。(中略)
以上の諸事情を踏まえると、本件職務命令については、前記のように外部的行動の制限を介して上告人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの、職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量すれば、上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである。
以上の諸点に鑑みると、本件職務命令は、上告人の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当である。
判例は、まず、「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が、これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは、間接的な制約となる面があることは否定し難いとしています。
そして、このような間接的な制約が許容されるか否かは、職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量して、当該職務命令に上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当であるとしています。
続いて、本件職務命令は、思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があるものということができる一方、教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては、生徒等への配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要であるとしています。
結論として、外部的行動の制限を介して上告人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの、制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきとしました。
判例を見ると、とても緻密に利益衡量されているのがわかります。