ここでは、表現の自由から報道・取材の自由について学習します。報道の自由については博多駅事件などをみておきましょう。
博多駅事件
事案
米原子力艦艇の佐世保駅寄港への反対運動に参加した学生と機動隊が博多駅で衝突し、衝突時の機動隊員等の行為が特別公務員陵虐罪等に該当するとして告発されました。裁判所は、審理のために放送会社に対し、事件の「状況を撮影したフィルム全部」の提出を命じました。そこで、放送会社が、本件提出命令が表現の自由を保障した憲法21条に違反しているとして争ったというものです。
判旨
判例は、まず、①「報道機関の報道は,民主主義社会において,国民が国政に関与するにつき,重要な判断の資料を提供し,国民の『知る権利』に奉仕するものである。したがって,思想の表明の自由とならんで,事実の報道の自由は,表現の自由を規定した憲法21条の保障のもとにあることはいうまでもない。また,このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには,報道の自由とともに,報道のための取材の自由も,憲法21条の精神に照らし,十分尊重に値いするものといわなければならない。」として、報道の自由が憲法21条によって保障されること、報道のための取材の自由が十分尊重に値するものとしました。
次に、②「しかし,取材の自由といっても,もとより何らの制約を受けないものではなく,たとえば公正な裁判の実現というような憲法上の要請があるときは,ある程度の制約を受けることのあることも否定することができない。」として、取材の自由には、一定の制約があるとしました。
比較衡量した結果として、「現場を中立的な立場から撮影した報道機関の本件フィルムが証拠上きわめて重要な価値を有し,被疑者らの罪責の有無を判定するうえに,ほとんど必須のものと認められる状況にある。他方,本件フィルムは,すでに放映されたものを含む放映のために準備されたものであり,それが証拠として使用されることによって報道機関が蒙る不利益は,報道の自由そのものではなく,将来の取材の自由が妨げられるおそれがあるというにとどまるものと解されるのであって,……この程度の不利益は,報道機関の立場を十分尊重すべきものとの見地に立っても,なお忍受されなければならない程度のものというべきである」。「本件フィルムを付審判請求事件の証拠として使用するために本件提出命令を発したことは,まことにやむを得ないものがあると認められる」として、合憲であるとしました(最決昭44.11.26)。
外務省秘密電文漏洩事件
事案
沖縄返還交渉を取材する新聞記者が、外務省の女性事務官と情を通じ、これを利用して秘密文書を持ち出させたことが、職務上知ることのできた秘密を漏らすことをそそのかしたとして国家公務員法に違反するとして起訴されました。
判旨
判例は、まず、「報道機関の国政に関する取材行為は,国家秘密の探知という点で公務員の守秘義務と対立拮抗するものであり,時としては誘導・唆誘的性質を伴うものであるから,報道機関が取材の目的で公務員に対し秘密を漏示するようにそそのかしたからといって,そのことだけで,直ちに当該行為の違法性が推定されるものと解するのは相当ではなく,報道機関が公務員に対し根気強く執拗に説得ないし要請を続けることは,それが真に報道の目的からでたものであり,その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは,実質的に違法性を欠き正当な業務行為というべきである。」として、正当な業務行為にあたる場合について述べました。
その上で、「しかしながら,……取材の手段・方法が贈賄,脅迫,強要等の一般の刑罰法令に触れる行為を伴う場合は勿論,その手段・方法が一般の刑罰法令に触れないものであっても,取材対象者の個人としての人格の尊厳を著しく蹂躪する等法秩序全体の精神に照らし社会観念上是認することのできない態様のものである場合にも,正当な取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯びるものといわなければならない。」として、違法性を認定しました(最判昭53.5.31)。
レペタ事件
事案
アメリカ人の弁護士であるレペタさんが、裁判を傍聴した際に、メモを取ることを禁止されたので、損害賠償請求をしたというものです。
判旨
判例は、まず、「裁判の公開が制度として保障されていることに伴い、各人は、裁判を傍聴することができることとなるが、右規定は、各人が裁判所に対して傍聴することを権利として要求できることまでを認めたものでないことはもとより、傍聴人に対して法廷においてメモを取ることを権利として保障しているものでないことも、いうまでもないところである。」として、メモを取ることを権利として保障しているものではないことを述べました。
次に、「憲法21条1項の規定は、表現の自由を保障している。そうして、各人が自由にさまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会をもつことは、その者が個人として自己の思想及び人格を形成、発展させ、社会生活の中にこれを反映させていく上において欠くことのできないものであり、民主主義社会における思想及び情報の自由な伝達、交流の確保という基本的原理を真に実効あるものたらしめるためにも必要であつて、このような情報等に接し、これを摂取する自由は、右規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理として当然に導かれるところである。」として、情報を摂取する自由については認められるとしました。
そして、これらを踏まえたうえで、「裁判の公開が制度として保障されていることに伴い、傍聴人は法廷における裁判を見聞することができるのであるから、傍聴人が法廷においてメモを取ることは、その見聞する裁判を認識、記憶するためになされるものである限り、尊重に値し、故なく妨げられてはならないものというべきである。」として、傍聴人が法廷においてメモを取ることは、尊重に値するとしました(最判平1.3.8)。
本試験対策として、レペタ事件では、メモを取る自由が「保障」されるのではなく、「尊重に値」するというキーワードをおさえておきましょう。